鷹休漆器店〈越中富山 伝統の魚津漆器〉夫婦椀・カップ・内祝・結婚ギフト・長寿・弔事・記念品など 漆器の通販サイト

カテゴリー

  • わっぱ弁当箱/弁当箱/松花堂
  • お椀
  •  御箸/夫婦箸/カトラリー/箸置き
  • ペアカップ/フリーカップ/酒器
  • スイーツカップ/菓子器/茶道具
  • 皿/鉢/盛器/ペア
  • お盆/膳/ランチョンマット/おしぼり
  • 重箱/祝儀品/賞状盆/祝儀盆
  • 名刺/小物/デスク/文庫箱/硯箱
  • 花器/漆額/インテリア/パネル
  • 仏具/神具

コンテンツ

  • 魚津漆器とは
  • 魚津漆器 鷹休漆器店について
  • 漆器のお手入れ方法
  • 鷹休漆器店 メディア掲載情報
  • ギフト包装・のし
  • お客様の声

4代目 店主 鷹休雅人 <Masato Takayasumi>

近年では日本ではもちろん世界的にも「和」が見直されています。 その中でも漆器は昔から身近な生活でも楽しめる「日本の美」でもあります。当店では多くの皆様に漆器を身近に感じていただく為“新しい発想での御使用”をお薦めしています。皆様の家庭にある漆器をアレンジして御使用する事により、日頃から楽しみながら「漆(JAPAN)」の魅力&再発見も感じられますよ!

お電話でのお問い合わせ 0765-22-0857

カートを見る

カートの中に商品はありません

カートの中身を見る

魚津漆器の歴史

古文書によると魚津漆器の起源となす木地屋は
室町時代末期に近江の国から木地を求めて渡り歩き、
飛弾の双六谷を経て魚津の松倉村に辿り着きしました。
江戸時代初期には今でも木地平と呼ばれている
ブナ・トチ材などが豊富な片貝側上流域の平沢に移住して多くの木地を産出します。
この頃の新川地方(富山県東部)は北陸でも最大の「漆」の産地でもあり、
山間部一帯で採集されていました。
また、魚津には古くからお城が存在しており
当時の城主は積極的に保護や振興に力を注いでいます。
このように木地・漆などの材料に加え人材にも恵まれていた事により、
魚津漆器が大きく繁栄した要因となっているのです。

大正初期には能登輪島の漆工人から堅地塗の技法を伝授や
魚津塗り特有の技術を考案する事により、
『堅牢・安価・実用的』を特徴として日常雑器を中心に制作されます。
その頃には最も盛んな時代となり、数多くの漆器を生産して
全国にまで販売する魚津の一大産業までに発展しました。
しかし、昭和期に入ると戦争・魚津大火などの厳しい時代の流れや変化もあり
今では一件(鷹休漆器店)が伝統を受け継いでいます。

現在では、これらの古くからの流れを受け継ぎながら商品制作の幅を広げ、
普段の生活に合った商品・オリジナル商品なども制作しています。
近年、見直されてきている和食器である漆器をアレンジした使用法などを提案しながら、
多くの『美しい漆器・楽しい漆器生活』をお勧めしています!

魚津漆器の器

蜃気楼塗りの由来

魚津市は「蜃気楼の見える街」として知られています。
四月〜六月上旬の山々が雪解けが進む頃、
富山湾対岸の沖合に数奇に変化し現われるのが蜃気楼です。

その真昼のファンタジーな現象を漆塗りの技法で
表現した品々を『蜃気楼塗』と名付けてます。
朱と黒の漆のグラデーションが海面に浮かんだ
蜃気楼をイメージした永年鍛えた塗師の技の逸品です。
魚津漆器の伝統を受け継ぎながら、
多くの皆様に末永く御愛用していただけるよう真心込めて制作しています。

鷹休漆器店の蜃気楼塗り

English

The origin of Uozu lacquerware is not clear, but it is reportedly began with the turner of the country of Omi has been moved to Uozu Matsukura village through the sugoroku valley of Hidan in Muromachi period last stage according to ancient documents.
In the early Edo period, such as beech and land material is called "tree horizon" still is moved to Pyeongtaek rich Katakai side upstream region, pheasant teacher who has been producing a lot of bare wood. He is also a producer of lacquer largest in the Hokuriku, Shinkawa district of this time (Toyama East) had been collected in the mountains region.
The fact that his team was blessed with material such as bare wood, lacquer in this way, became a major factor was the prosperity Uozu lacquerware.
Uozu lacquerware at the center Taisho period, the daily miscellaneous vessel, had been fabricated to characterized in that it is a practical and inexpensive robust, went developed into big business of Uozu town.