鷹休漆器店〈越中富山 伝統の魚津漆器〉夫婦椀・カップ・内祝・結婚ギフト・長寿・弔事・記念品など 漆器の通販サイト

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4代目 店主 鷹休雅人 <Masato Takayasumi>

近年では日本ではもちろん世界的にも「和」が見直されています。 その中でも漆器は昔から身近な生活でも楽しめる「日本の美」でもあります。当店では多くの皆様に漆器を身近に感じていただく為“新しい発想での御使用”をお薦めしています。皆様の家庭にある漆器をアレンジして御使用する事により、日頃から楽しみながら「漆(JAPAN)」の魅力&再発見も感じられますよ!

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魚津漆器の歴史

魚津漆器の起源は明らかではないが、
木地師が室町時代末期に飛弾の双六谷からブナやトチ材の豊富な松倉村に来た事が始まりとされています。
その後、17世紀に入ると片貝谷上流域である平沢に移住して発展していきます。
(この地は今でも木地平と呼ばれ、多くのトチ材が存在します)

江戸時代には新川地域(県東部)は北陸でも最大の漆の産地となり、
山間部一帯で採集されていました。
この様に魚津近郊の山間部には木地となる材料や漆が多く産出させれた事が、
魚津漆器の基本となる要因とされています。

藩政期には加賀藩の庇護のもとに多くの日常雑器が盛んに制作され、
それらの魚津漆器の名は他国まで知られるようになっていきます。
当時の城主は積極的に漆器産業への保護や振興に力を注ぐ事により、
魚津漆器は大きく繁栄していきます。

明治後期には魚津漆工会が結成される事により組織化が図られ、
技術的にも向上して博覧会・展示会・競技会に参加すると数多くの賞を受賞しました。
この頃から魚津漆器の特徴が『堅牢・安価・実用的』基本となります。

大正初期には一躍全国的に知られるような商品が多く製作され発展します。
また、能登輪島の漆工人から本堅地塗の技法も伝授されました。
この頃は最も盛んとなり魚津漆器が一大産業までに発展した時代となりました。

しかし、昭和期に入るとこの様な全盛期も戦争などの影響により、
漆の購入が困難や職人の召集・徴用された事により衰退の一途をたどります。
その後も魚津大火などで家財消失があり継承が困難となる厳しい時代となります。
しかし、この様な時代のの流れや変化もありますが、
現在では一件(鷹休漆器店)が伝統と想いを受け継いでいます。

魚津漆器の器

当店では、これらの古くからの伝統の流れを受け継ぎながら商品制作の幅を広げ、
普段の生活に合った商品・オリジナル商品なども制作しています。
近年、見直されてきている和食器である漆器をアレンジした使用法などを提案しながら、
多くの『美しく使いやすい漆器・遊び心のある漆器』をお勧めしています!
◎ 平成28年度『伝統的工芸品産業大賞 作り手部門 功労賞』受賞

伝統的工芸品産業大賞 作り手部門 功労賞

蜃気楼塗りの由来

富山県魚津市は『蜃気楼の見える街』として知られています。
四月〜六月上旬の山々が雪解けが進む頃、
富山湾対岸の沖合に数奇に変化し現われるのが蜃気楼です。
その真昼のファンタジーな現象を漆塗りの技法で
表現した品々を『蜃気楼塗』と名付け制作しています。
黒漆と朱漆とのグラデーションは海面に浮かんだ
蜃気楼をイメージされ永年鍛えた塗師の技と想いの逸品です。
多くの皆様に末永く御愛用していただけるよう真心込めて制作しています。

鷹休漆器店の蜃気楼塗り

English

The origin of Uozu lacquerware is not clear, but it is reportedly began with the turner of the country of Omi has been moved to Uozu Matsukura village through the sugoroku valley of Hidan in Muromachi period last stage according to ancient documents.
In the early Edo period, such as beech and land material is called "tree horizon" still is moved to Pyeongtaek rich Katakai side upstream region, pheasant teacher who has been producing a lot of bare wood. He is also a producer of lacquer largest in the Hokuriku, Shinkawa district of this time (Toyama East) had been collected in the mountains region.
The fact that his team was blessed with material such as bare wood, lacquer in this way, became a major factor was the prosperity Uozu lacquerware.
Uozu lacquerware at the center Taisho period, the daily miscellaneous vessel, had been fabricated to characterized in that it is a practical and inexpensive robust, went developed into big business of Uozu town.